テストです(2月28日現在)。

ピンピンコロリとは「PPK」と省略されてる。

  1. 見ろよ
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漢字 読み 部首 部首名
[テキトウで選んだやつ]
くらい
にんべん

くさかんむり
ひ(める)
のぎへん

ほげほげここは大事なところほげほげ

傍線には問題がありそうです。

一八世紀にはイギリスで、海水浴マシンB a t h i n g   M a c h i n eと呼ばれる車輪の大きな馬車が作られた。

私はたまに、電卓で、その日から過ぎた時間を数えてみることがある。スマイルマート日色町駅前店は一日も休むことなく、灯りを灯したまま回転し続けている。先日、お店は19回目の5月1日を迎え、あれから15万7800時間が経過した。私は36歳になり、お店も、店員としての私も、18歳になった。あの日研修で一緒に学んだ店員は、もう一人も残っていない。店長も8人目だ。店の商品だって、あの日の物は一つも残っていない。けれど私は変わらず店員のままだ。

私がアルバイトを始めたとき、家族はとても喜んでくれた。

大学を出て、そのままアルバイトを続けると言ったときも、ほとんど世界と接点がなかった少し前の私に比べれば大変な成長だと、応援してくれた。

大学一年生のときは土日含めて週4日だったアルバイトに、今は週に5日通っている。いつも家に帰るとすぐに、狭い六畳半の敷きっぱなしの布団の上に身体を横たえる。

大学に入った時、私は実家を出て家賃の安い部屋を探して住み始めた。

いつまでも就職をしないで、執拗といっていいほど同じ店でアルバイトをし続ける私に、家族はだんだんと不安になったようだが、そのころにはもう手遅れになっていた。

なぜコンビニエンスストアでないといけないのか、普通の就職先ではだめなのか、私にもわからなかった。ただ、完璧なマニュアルがあって、「店員」になることはできても、マニュアルの外ではどうすれば普通の人間になれるのか、やはりさっぱりわからないままなのだった。

両親は甘く、いつまでもアルバイトをしている私を見守ってくれている。申し訳なく思い、二十代のころ、一応就職活動をしてみたこともあるが、コンビニのバイトしかしていない私は、書類選考を通ることさえめったになく、面接にこぎつけても何故何年もアルバイトをしていたのかうまく説明できなかった。

毎日働いているせいか、夢の中でもコンビニのレジを打っていることがよくある。ああ、ポテトチップスの新商品の値札がついていないとか、ホットのお茶が沢山売れたので補充しなくては、などと思いながらはっと目が覚める。「いらっしゃいませ!」という自分の声で夜中に起きたこともある。

眠れない夜は、今もうごめいているあの透き通ったガラスの箱のことを思う。清潔な水槽の中で、機械仕掛けのように、今もお店は動いている。その光景を思い浮かべていると、店内の音が鼓膜の内側に蘇ってきて、安心して眠りにつくことができる。